小学館「日本古典文学全集」『日本霊異記』 中田祝夫(校注・訳)より

慶雲二(705年・文武天皇の終りの年)

九月十五日、膳臣広国、死に、三日後蘇生して地獄の責め苦のさまを語る。

上巻第三十  非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けし奇しき事を示しし縁。

原文  我飢七月七日成二大蛇一到二汝家一,・・・・

訳文

「〜〜我れ飢えて、七月七日に大蛇に成りて汝が家に到り、屋房に入らむとせし時に、杖を似て懸け棄てき。又、五月五日に赤き狗ニ成りて汝が家に到りし時に、犬を呼び相せて、唯に追い打ちしかば、飢え熱りて還りき。我正月一日に狸(ネコ)に成りて汝が家に到りし時に、供養せし穴、種の物に飽きき。是を以て三年の糧を繋げり。我兄弟・上下の次第无くして理を失ひ、犬を食ひ、白く汁を出す。我必ず赤き狗に成るべし」といふ。

解説文

「死んだ最初の年、わたしは飢えて、七月七日に大蛇になっておまえの家へ行き、家の中に入ろうとした時、おまえは杖で引っかけてわたしを捨てた。また、翌年の五月五日に赤い子犬となっておまえの家に行った時は、ほかの犬を呼んでけしかけ、追っ払ったので、食にありつけず、腹だたしく帰って来た。ただ、今年の正月一日に、猫になっておまえの家に入りこんだ時は、昨夜の魂祭りで供養のために供えてあった肉やいろいろのご馳走をたらふく食べて来た。それでやっと三年来の空腹を初めていやすことができたのだ。またわたしは兄弟や上下の身分を無視し、道理に背いたので、犬となって食い、口から白い唾液を出してあえぐことになろう。わたしはきっと赤い子犬になって、食をあさることになるのだろう」と語るのであった。

注釈・「狗は子犬、次の「犬」は大きな犬」

その翌日の正月一日にこっそりと食物を猫の姿で盗んだのである。

「貍」「狸」はネコの意にも用いられた。

新漢字鏡「貍力擬反猫也似虎少」

本草和名「家狸・一名猫、和名祢古末(ネコマ)」

「穴・シシ」獣類の肉で、猫の好物である。魂祭りには、故人の好物が供えられる。

広国の父は、鹿・猪・兎といった獣類の肉を好んでいたのであろう。

キーワード(猫であろうとする)

◆狸  獣偏に里 
◆色(黄褐色・縞)(キジネコ)
◆家に入りこめた。
◆肉を食べる。

独り言

やっぱり日本には唐猫の以前にも、何となく人の生活の場にいることが許されていた猫(野生?)がいたのでしょう。それらの猫は人に飼育されてはいなかったかも知れませんが、「山に生息する狸」と「人里に住む家狸(猫)」は明確に区別されていたと思われます。

また、狸の毛色からギジトラの毛色を想像するのも面白いですね。