宇多天皇の日記 寛平元年2月6日・記(889年) 「寛平御記(カンピョウギョキ)」または「宇多天皇御記」「寛平聖主記」とも伝えられる。 国立国会図書館(3581−2331) 「唐からやってきたのは黒猫だけ?」1984年
米国で博学と知られるCFA審査員ジョーン・ミュラー女史と「日本猫の伝来について」話し合いました。 女史曰く、「日本猫の最も古い記述は、今から約1100年前、唐の国からもたらされた黒猫」と言うことに異存はないが、「黒猫のほかにも、黒のハルクイーン(斑)、黒白、赤白の4匹の猫が当時の朝廷に献上された」と言います。 まして、「尾の長い猫は、尾をクネクネさせて物を落としたりするから、猫の尾は短いのが良い」と天皇がおおせられたので、それから短尾のボブテールが始まった」と言います。(英語で言うのですら、これほど丁寧な言葉ではないかも・・・) なんでも鵜呑みに聞くことも無いので「短尾の猫が増えたのは、もっと後世になってからで、江戸庶民の好みと、日本の島国の事情が短尾を育てた」と反論しましたが、話題は沸騰して、「少なくとも4匹の毛色の違った猫がやってきたから、三毛猫が生まれた。もしかすると三毛も来ていた、白猫も・・」と自説を主張して念を押します。 なるほどと感心すると、「日本の高貴な人は、絹の着物を着ていたため、それを作る蚕を食べるネズミ退治の必要から、最初は宮中で猫の飼育が始まった」と続きます。その通りなので黙って拝聴します。 「天皇陛下が自分で猫を飼っていたの」と聞くと、「しだいに猫が増えていったから、侍従に命じて飼っていた」と、よどみなく返ってきます。まるで講釈師問答で、楽しいひと時でした。 「増えた猫を、天皇陛下からいただいた人は猫を家宝にしたろうし、大切に扱ったに違いない」と思い、その当時の書物に残されていると聞き探しましたが、探せず、読み切れないで今日にいたっています。 独り言 ナゼ、日本の本土にもいたと証明される野生の猫は姿を消したのでしょうか?群れを作るオオカミよりも単独行動の野生猫が、山村のノラたちと交わって生存することは考えられないのでしょうか?
|