日中荒れ狂った台風が北へ去って夜になると、スモッグの消えた空は雲一つない群青色で、お星様が一面にあふれてチカチカ光っている。

 あの夏の日の冒険は、ほんの何日か家を留守にしただけなのにお嬢さんは俺を心配して、近所の交番や保健所に「こんな猫知りませんか?」って届け出たそうだ。さらに獣医さんから「帰って来たら背中にマイクロチップを埋め込みましょう」とそそのかされたらしい。

 マイクロチップは小さな迷子札で、アメリカやオーストラリアで流行っているらしいが、お嬢さんはすっかり乗り気で「もう10年もしたら、空飛ぶ宇宙船が電波出して見張ってくれるから、ツートンがどこでウロウロしているのかすぐに分るのよ」なんて言うんだ。

 秋・おしゃべりカラスのガ太郎…………。

 だいたい猫の日々なんてもんはひもすがら眠っているのが商売だから、こんな太平楽もないのだが、秋が近くなると猫でも少しは忙しくなる。

  眠って目を覚ますと、まず体を伸ばしてストレッチをして、ドライフードを食べて腹ごしらえ、天気が良ければいつものコースを散歩をする。

  巡回の途中でバッタに出会えば、ついむらむらと本能が騒いで捕まえたくなるし、ガマ仙人に出会えば頭を叩いてやるのだ。なんだやっぱりヒマじゃないかと思われるが、これでも猫には猫なりに忙しいのだ。
 つくつく法師が屋根のひさしに止まって「もうすぐ秋だ、もうすぐ秋だ」と五月蝿く知らせている。

 久し振りにカラスのガ太郎がさぼりに来た。

 やたら低音のこぶしを震わせて、何でもかんでも「ガァーガァー」って鳴くから、カラスはカァーカァーとかアホーって鳴くんだろうと聞いたら、「あれはハシブトカラス、我が輩はハシボソカラス、この上品な細いクチバシ、スリムな体付き、素早い身のこなし、これだけの違いが分からないとは情けない、あぁ情けない」と、とどのつまりはガアーガアー喉を震わせている。

 ガ太郎の狙いはバッパが残してくれるドライフードで、決まって食事時に現れる。バッパがポリポリ食べている間は、別に腹なぞ減ってはいないよ、何て顔つきで、そっぽを見ているふりをしている。その内、しびれを切らして、ときどき小さな目玉でチロリと盗み見するから直ぐ分る。

 いよいよ餌が少なくなってくると我慢の限界もこれまでで、ゴクリとつばを飲み込んで、ここに居るよと催促する。そのくせ、残された餌に近づくと「もったいないな・・・仕方ないなあ・・・」何て顔つきでいるが、食べ始めるやいなやガッガッガと一気呵成である。

  とり肉なんかのご馳走のときは、大きなクチバシにはさめるだけ啄ばんで、わざわざケンケン跳びして離れた場所で飲み込んでいる。

 いやはや、俺とバッパは、遠慮知らずのガ太郎の無作法な食いしん坊ぶりに呆れてしまうのだ。

 ガ太郎は小さな頃から右の片羽と右足が不自由なので、急ぐときは、片足ケンケン跳びで慌てふためく。ちょっと走って弾みをつければ屋根ぐらいはいつでも飛べるのに、「悲劇の主人公、飛べないカラス」にこだわって、みんなから可哀想にと同情されるのが好きなんだ。     

 その理由は定かではないが、ガ太郎は、生まれて間もないころに、真夏の台風がやって来て夜通し大風がふいたときに、高い杉の木のテッペンにあった巣から転がり落ちたらしい。

  幸い、翌朝早く、近所のご隠居さんが雑種のジョンを連れて散歩していて見つけた。ご隠居さんは大木を見上げたけれど、母鳥の騒ぐ様子もないし、何の雛かも分からなかった。               

 ジョンは猟犬でも無いのに、雛が動く度に大騒ぎして興奮のるつぼに達していた。右羽の付け根から血がにじんでいるし、右足も変なので、ご隠居さんは懐から出した手拭いに包んで犬糞入れのビニール袋に入れた。

  運ぶ途中でガサゴソするから、ジョンが気にして覗ぞかせろと催促したので、ちょっと立ち止って様子を見ると、クチバシを大きく広げて、ケッケッケって笑ったのだ。   

 獣医さんに見せると、カラスだと判明したが、本当に困ったのはその後だ。ご隠居さんだとヒナは頑としてクチバシを開かないのに、ジョンがクンクンと覗く度に喉チンコが見えるまでクチバシを大きく広げた。

 獣医さんは難しいことを教えてくれた。

 「これはインプリンティングかも知れない。雛鳥は初めて見たものを親だと思うんだ。匂やその他にも作用するかも知れないが、どうやら、ジョン君を親と間違えてるらしいね。傷の具合も心配だが、さあ、どうしましょう」 

 ご隠居さんは、「どうもこうも、・・・なあジョン」と、段ボール箱に入れられたヒナを連れて帰ることになった。

  ジョンはその顛末を知ってか知らずか、キュンキュン鼻を鳴らして喜んだ。     

 それから、ご隠居さんとジョンは二人三脚で育てることになった。なんせ、玄関石の下から掘り出したみみずを割箸に挟んで食べさせようとするが、ご隠居さんだとガ太郎は食いしばるように喙を開かない。そこで、ジョンが鼻面を近付けると、狂ったように喙を開くのだから、何とも奇妙なカラスが育った。          
 
 しばらくして、カラスと犬の散歩姿が面白くて地方紙のトピックスに掲載された。酔狂なご隠居さんはただのカラスじゃつまらなかろうと、ガ太郎の出生を「このカラスは鎮守の森の大杉に落雷があったとき、果敢にも雷様に戦いを挑んだ勇者なのだ」と、でっち上げたのだ。

 かくてガ太郎は町内の人気になった・・・が、奥ゆかしさとか控えめなどを知らない悲しさゆえに、いつまでも作り話を自慢して回るから、今ではホラ吹きガ太郎と呼ばれている。

 初めてガ太郎に出会ったのは俺がまだ小さい頃で、悪がき連に追い掛けられたガ太郎がケンケン跳びで一目散にこの庭に逃げ込んできた。  
 「落っこちガラスのガ太郎だ、捕まえて犬の鳴き真似教えよう」と、虫採り網を振り回されて、泡食っていた。

  以前に捕まったときは三日間もアンパン一つと水だけで、「ホーホケキョ」を真似させられて、その上「あたしバカよね」までも仕込まれて、身も世もない屈辱を味わったことがあるんだ。        

 憤懣やるかたない風情で「近頃の子供は、この我輩をただのカラスとでも思っているから、誠に不届き千万な振る舞いをする。・・・」などと前置きして、決り文句のホラ話を始める。

 「我輩は轟きわたる雷様に戦いを挑んだのだ。この事件から、ちょっとは体も不自由になったけれど、ほかのカラスとはカラスの格が違う、それで我が輩と名乗ることにしたんじゃ、ガッガッガッガッガ」       
 笑い終らぬうちに茶トラバッパが「何か抜けているんじゃないかね。本当は、アホなカラスが落雷に目を回し巣から転げ落ちた、・・・」とちゃちを入れて、ガ太郎が二の句を告げぬ間に涼しい顔でたぬき寝をした。            

 ガ太郎は言い負かされて悔しくなるといつも俺がとばっちりを受ける。

 「ツートン君はどんなに頑張ったってトラやライオンにはなれないだろう。どんなに長生きしても猫は猫なんだ」

 変なことを言い出す奴だ。俺はトラやライオンのことは話に聞いたことはあるが、実際には、知りもしないし成りたいなんて思ったこともない。

 ガ太郎は「我輩はカラスに生れたのがそもそもの間違いだった。本当はワシに生まれていつでも勇敢に空高く舞っているのが相応しい」なんて思っているから、いつでも不満足でぶつくさ言っているのだ。

  夢とか希望は大きく持ちなさいと言うけれど、それは良いことばかりじゃないのかも知れない。

 俺は猫に生まれて自分の周りにある小さな生活を大切に淡々と生きているだけで何の不満も無い。それが幸せか不幸せかなんて考えたことも無いが、本当の幸せってそんな小さなものかも知れない。

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